私の歴史 NO.6
大手人材会社時代 NO.3
前回のお話しの続きですが、新宿の高層ビルの1フロアの3分の1ほどの広大なスペースに立ち上げたパソコンスクールは当時としては都内最大級の規模だったかと思います。
その広いスペースにWindowsとMACのパソコンが数百台並んだ光景は素晴らしいものでした。
しかし、その素晴らしい設備の維持費が膨大であることで、毎月の売上との闘いが始まりました。
テナントの家賃が毎月2000万、パソコンのリース代が毎月1500万、人件費が毎月1000万、それにプラスして光熱費などの管理費がかかり、合計5000万以上の固定費がかかりました。
スクール生の学費はWindowsのマスターコース(3か月)が15万円、MACのDTPコース(3か月)が20万円ほどですから、毎月何人のスクール生を入学させなければならないか計算すればお分かりかと思います。
250名以上のスクール生を獲得しなければ赤字です。
それは毎日毎日、昼と夜の2回行う体験スクールに来た参加者から入学に繋げていく訳です。
しかし、体験スクールの参加者の中には1つソフトを1日だけ学びたいという1万円~3万円の1日コースの希望者も居ますので、3か月コースに入学する方はそれほど多い訳ではありません。
私以外はすべて女性スタッフでしたが、早出(9時~18時)と遅出(13時~22時)のシフト制で出勤していました。
しかし、私は毎日9時に出勤して22時まで勤務という13時間労働を退職するまで続けていました。
私の人生の中でこの時期の仕事は、最初勤務した繊維メーカーの営業と同じくらいか、それ以上に過酷な毎日でした。
(次回に続く)