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私の歴史 NO.2
大手専門学校の就職課時代 NO.1

私の歴史 NO.2

大手専門学校の就職課時代 NO.1

私の歴史NO.1で大手繊維メーカーの営業時代のことを書きましたが、30歳を機に全く違う教育業界に平成元年に転職しました。
平成元年といえばバブル絶頂期で日本中が異常な景気の時代でした。
そのため私も転職活動には困りませんでした。上場企業の営業である程度の成績を残して来たこともあり、応募した有名大手企業からは面接の連絡が殺到しました。
有名電機メーカーや有名お酒メーカー、大手化学メーカー、当時立ち上がったばかりの第二電電やIDOなどの通信関連など多くの企業から連絡を頂き、複数社から内定も頂きました。
しかし、また営業で夜中まで働くのは勘弁して欲しいという気持ちから、今で言うワークライフバランスを考えて当時テレビCMをしていた大手専門学校に入社を決めました。
営業の実績を買われて就職課への配属でした。
入社してみると学生数の割には就職課のスタッフは男性2名、女性2名の4名とアルバイト学生1名の5名体制でした。男性2名の内の1名が40代の就職課長でした。
入社して最初の仕事はその学校に来ている求人のデータ整理でした。どの企業から求人が届いているかを帝国データバンクが発刊している企業年鑑にチェックをしていくという仕事でした。
非常に地味な仕事を2ヵ月ほどやっていましたが、流石にこのままで良いのかという気持ちがふつふつと湧いてきました。
当時の専門学校に来ている求人はバブル期とは言え、大学に来ている求人とはかなり差がありました。
就職課長が金融業界出身ということもあり、都市銀行や一部の地銀からは求人が来ていましたが、それ以外の求人はほとんどが中小企業ばかりで、名前も聞いたことの無い企業ばかりでした。
これに気が付いたのも求人のチェックを2ヵ月間やったお陰ですので、地味な仕事も無駄ではなかったと気づきました。
当時は繰り返しますがバブル絶頂期ですので、その専門学校にも毎日朝から晩まで求人票を持って企業の人事担当や経営者が列をなして訪問して来ましたので、その対応で大忙しでした。
そのため求人開拓で企業訪問するという考えは全く無く、求人は十分あるから求人開拓なんかしなくても良いという雰囲気でした。
しかし、来る求人は無名・中小企業ばかりです。
学生はこれで本当に満足しているのか?という疑問が湧いてきました。
その疑問を就職課長に直接話したところ、「それでは自由に企業訪問してみたら良い」と言ってくれました。大変感激しました。
そこで四季報を買い、上場企業で求人をもらっていない東京に本社がある企業を片っ端から訪問してやろうと思いました。
特に大手町や丸の内には大企業の本社がたくさんありましたので、大きなビルの上層階から下層階に向けて訪問して行きました。
しかし、大企業の第一の壁は受付嬢です。アポなしでの訪問はほとんど取り次いでもらえません。
受付で断られたら、一旦ビルを出て、人事部に電話をして「今、貴社の近くに居るのですが1度お会い頂けませんか?」と言いました。5社に1社は「いいですよ」と言ってもらえました。
しかし、次の壁は学歴の壁です。折角会って話しても大企業は大卒しか採用しませんという学歴の壁がありました。
(次回へつづく)

株式会社A・プレースメント
渥美康晴
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