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私の歴史 NO.3
大手専門学校の就職課時代 NO.2

私の歴史 NO.3

大手専門学校の就職課時代 NO.2

(前回からの続き)
前回では営業経験を活かして四季報片手に東京に本社がある上場企業を片っ端から求人開拓営業をしたお話しをしました。
苦労して飛込み営業をして人事担当に会ってもらえても、今度は学歴の壁がありました。
専門学校は偏差値が無く学生のレベルが分からないから採用したことが無いと言われ、大企業特有の前例主義の人事担当がほとんどでした。
しかし、専門学校生を採用している大企業の例を挙げ、採用後にどのように活躍しているか?、大学生と変わらないレベルの学生が居ることを伝えました。
飛込み営業を1か月、3か月、6か月と続けて行く内に、何社かの人事担当の方から「1名学生を紹介してみて下さい」との連絡を頂くようになりました。
学校の就職課の先輩職員も最初は「この忙しい時に企業訪問なんてなぜするのか?」「就職課長もなぜそんなことを許可したのか?」と批判轟轟でした。
学校に居る時はチクチクといじめのように小声でいびられました。
しかし、就職課長は「気にしないでどんどん外出して下さい」と言ってくれました。
そして1年で300社ほど訪問して、何と100社近くの企業から求人を頂くことができました。
その頃には先輩職員も何も言えなくなり、逆に就職課内では学校にじっと座っていることが悪いという状況に変化しました。
しかし、先輩職員は今まで中小企業で求人をお願いに来る企業ばかりを相手にしていましたので、大企業の求人開拓ができる訳もなく、外出はしても求人実績のある中小企業回りをするばかりでした。
そのような実績を評価され、通常は主任になるのに3年、マネージャーになるのに5年以上はかかる組織でしたが、入社1年で主任、2年でマネージャーに大抜擢されました。
これは理事長の親族以外では最速の出世となりました。
そして新宿にできた新しい専門学校の就職責任者として部下3人とともに赴任することになりました。
そこからがまた戦いの始まりです。
その頃にはグループ校3校で学生数が1学年で7,000人規模となり、就職課も就職部となり、スタッフ数も合計で20名以上となりました。
スタッフが多くなれば派閥ができるものです。
苦労しないで学校に居ようとするグループと私に賛同して求人開拓を積極的に行うグループです。
その頃にその専門学校全体が「就職に強い専門学校」というキャッチコピーを全面に出すようになったことが追い風となり、私たちの有名大企業に1人でも多く就職させるために求人開拓を行う活動がどんどん評価されるようになりました。
そしてついに求人開拓をしないグループは全員居なくなって行きました。
しかし、敵対勢力が居なくなり喜んで居られたのも数年でした。
それは学校の理事長派と校長派の敵対から組織全体を巻き込む大騒動が勃発して、オーナーでもある理事長派が勝ち、校長派は追い出されることになったのです。
私の上司だった就職部長は校長派だったため、私も校長派と判断されて就職部から閑職の関連企業の営業に追いやられました。
上司の就職部長も含め校長派の数十人が一斉に退職しました。
その後、半年ほどは何とか耐え忍んで勤務しましたが、「何でまだ居るの?」という周囲からの声に我慢できずに退職することになったのです。
この時に学んだのは「大組織では派閥色は出さず、中立の立場でいる方が安全」ということでした。
不幸中の幸いと言えば、私たちが退職して1年後にはその専門学校は運営が立ち行かなくなり、倒産状態となって名も知れない専門学校を運営する小さな学校法人に買収されてしまいました。
風の噂では、その後、買収した学校法人のスタッフがどんどん入って来て、それまで居た職員をほとんど辞めさせて行ったそうです。
そのような大変な状況になる前に辞められたことは本当に良かったと思います。
専門学校を退職する前に、就職部時代に培った求人開拓の営業力や人脈を活かして人材系企業に応募しました。その頃(1996年)はまだ人材会社も少なく、これからの業界でしたが非常に活気があり、内定した複数の企業の中から業界トップ10に入る企業を選び、入社することにしました。

株式会社A・プレースメント
渥美康晴
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