私の歴史 NO.10
日本最大の専門学校グループ時代 NO.3
前回のお話しで新設の学校から基幹校に異動になったところまではお話ししました。
その学校は医療系の学校として学園が東京で初めて作った学校でしたので、理事長も非常に思い入れがあり、学園の歴史はこの学校から作られて行ったため、気持ちも引き締まる思いでした。
しかし、医療分野は初めてのため専門用語など知らないことが多く、学科や取得する資格内容、専門用語などを覚えることが非常に多く大変でした。
また、キャリアセンターには20歳以上年上の60歳代の顧問が二人居り、その方たちを部下として動いてもらわなければならないという使命もありました。
異動して数年後にはキャリアセンターのチームも10名となり、しかもグループ校10校ほどの就職の統括責任者も担うことになったのです。
大変ではありましたが、非常に充実した仕事ができました。
しかし、例の理事が次の幹部を育成するという名目で各項の学科長、各部署の課長クラスを集めて毎月数字チェックの会議を開くことになりました。
これが大変な会議で朝の10時から始まり、終了が夜10時という12時間の会議でした。
この学園は会議が非常に多く、最長のこの管理職会議だけでなく、学校内での週1回の運営会議など会議だけで1日が終わることが頻繁にありました。
会議は大切なものも多いでしょうが、長時間の会議は何も生まれない不毛の会議が多いのです。
私の会議嫌いはこの時に始まったのかも知れません。
(次の回につづく)